新しい記事を書く事で広告が消せます。
Ads by Google |
|
新しい記事を書く事で広告が消せます。 |
月と六ペンス |
|
このモームという人は、どうしてこんなに苦しんでいるのだろう。自らの存在意義というものを必死になって探し求めているその姿が、痛々しい。
しかし、それにも関わらずである。そこには安らぎのようなものが見える。『人間の絆』で人生という名のペルシャ絨毯を広げる覚悟を決めた男は、タヒチのゴーギャンの姿を借り、理想と現実の乖離を自覚しつつも逃れることの出来ない現実(六ペンス)の中で夢(月)をカンバスの中に求めている。 モームが求めていたことはやはり、たとえば村上春樹『ねじまき鳥クロニクル・第三部』の赤坂シナモンが自らの生まれる前まで遡って求めていたのと同じような、自らの世界における明白なレーゾン・テートルであったような気がする。 |
開高健『裸の王様』 |
|
物凄く久々の更新になってしまって…申し訳ない。UCLAがあんまり忙しかったので、もしかしたらアメリカに来てから初めての更新になるんじゃないか??シマヘビsanの春眠日記は毎日更新しているんだけども。
久々のアップは、UCLAの東アジア図書館で借りた『開高健全集』に収められている『裸の王様』です。例によってストーリーは書きませんが、感じたことを書いていきます。 開高健という人は、この本で芥川賞を取っています。大昔に。 いかにも昔の芥川賞作品というべきか、正統派の戦後日本文学的な格式を感じます。なにより、文章が綺麗。そしてストーリーに破綻が無く、とっぴなものも出て来ません。文部省が好みそう。 たとえば、こんな文↓ ぼくは太郎といっしょに息を殺して水底の世界をみつめた。水のなかには牧場や猟林や城館があり、森は気配にみちていた。池は開花をはじめたところだった。水の上層にはどこからともなくハヤの稚魚の編隊があらわれ、森のなかでは小魚の腹がナイフのようにひらめいた。ガラス細工のような川エビがとび、砂のうえではハゼが楔形文字を描いた。ぼくは背に日光を感じ、やわらかい風の縞を額におぼえた。(開高健『裸の王様』より) ファンタジー要素を取り入れ、それでいて現実世界の情景を精緻に描き出す筆力に驚かされます。1文1文を見ると、意味はよくわかりません。池が開花を始める?水中の城館? しかし、これが小説中にまとまって出て来ることによって、その物語性が高まるのです。宮沢賢治的な世界の捉え方をも感じました。小説家に必要なのは、まずは何より観察眼。表現なんてものは、あとからついてくるものです。 それと、本文中に出て来る「白い沈黙の頁を繰りながらぼくは孤独の処方箋をあれこれと思いめぐらした。」という一文。心に闇をもっていそうな少年の絵を眺めている先生の描写です。この表現に出会えただけでも、この本を読んだ価値は充分にありました。 文の美しさにも色々な種類があるかとは思いますが、この人の文章にはどちらかというとたおやかな、繊細な巧緻さを感じました。三島由紀夫的な強い美しさの対極にあるイメージです。 |
スタンダール『赤と黒』 |
|
*スタンダール『赤と黒』(新)
ジュリヤンかわいそう。決して彼は欲深いわけではない。田舎の最下層からもちまえの頭脳と大胆さで出世街道を上り詰め、そして自らすすんで刑に服す若者。恋と、人の欲と、時代の空気と、階級と。一貫したストーリーの中に、錯綜した物語が。 ***************************************************************** 最後に思ったのが、どうしてこの本が「赤と黒」というタイトルなのかということ。ルーレットの赤と黒(一か八か)、軍人(赤)と聖職者(黒)の制服など、諸説あるらしいが。 僕が思ったには、この本は結局時代に対する批判小説であり、その時代のコントラストを表現しているのではないかということ。1830年代のフランス――もちろんそこは7月革命前のブルボン復活王朝時代であり、(良きにせよ悪しきにせよ)ナポレオン時代の旧習から解き放たれた時代であり、人びとの社会や制度に対する不満が爆発寸前にまで募っていた時代である。旧支配体制の復活は、人々にナポレオン時代の下克上的な、実力主義時代の気持ちの良さを思いおこさせ、そこを生きた作家・スタンダールは、ジュリヤンという1人の青年の人生を通じてその時代に対する批判を痛烈に書き殴るようにこの本を書いたのだと思う。では、果たしてどちらが赤で、どちらが黒なのか?どちらが善であり、どちらが悪なのか? そんなことは、言うまでもないことである。どちらも善であり、悪である。毒々しくも混ざり合った赤色と黒色の時代という油は、渦となって混濁し、どこまでも続く奈落の底へととぐろを巻きながら落ちていく。見た目ほど気持ちの良い、割り切れる小説ではない。そこには毒があり、そして花がある。 真摯に生きたジュリヤン。彼の愛した女たち。旧弊な支配者層。僧侶。貴族。階級。人びとの欲望。 唯一の救いは、ジュリヤンがどんなに困難な状況下であっても自分を保ち続け、それは最期まで途切れることが無かったということ。マチルドが彼の死体を飾られた洞窟に導く姿は、限りなく優美であり、そしてどこか幽玄でもあった。黒の世界における、赤い血を流す死という光のコントラスト。この物語は、生と死の物語でもあったのだ。 |
山田詠美『風味絶佳』 |
|
お久しぶりです。森永のキャラメルを食べていたら、思い出しました。山田詠美の『風味絶佳』です。
キャラメルの箱のパッケージに書いてるんですよね。「滋養豊富 風味絶佳」って。いいよね、この言葉。絶佳だってよ。日本語って美しいですね。アメリカに住んでからは強く実感するようになりました。 さて、この『風味絶佳』という本ですが、短編の名手・山田Amyの短編集です。内容はアマゾンのレビューでも見てください↓ 「甘くとろけるもんは女の子だけじゃないんだから」。孫にグランマと呼ぶことを強要する祖母・不二子は真っ赤なカマロの助手席にはボーイフレンドを、バッグには森永ミルクキャラメルを携え、70歳の今も現役ぶりを発揮する――。 鳶職の男を隅から隅まで慈しみ、彼のためなら何でもする女、「料理は性欲以上に愛の証」とばかりに、清掃作業員の彼に食べさせる料理に心血を注ぐ元主婦など、お互いにしかわからない本能の愛の形を描いた珠玉の6篇を収録。 山田詠美が作家生活20年目に贈る贅を尽くした最高傑作。 とにかく、うまいです。難解な言葉なんてまったく使っていないのに、ひとつひとつの話に物凄い奥行きがあります。軽いタッチなので読みやすいから、どんどん物語世界にのめり込まされます。ひとつの物語を読んだら、もうおなかいっぱいな感じです。 描写力・表現力・観察力。登場人物ひとりひとりの味をめいっぱい引き出しています。感動的なくらいの言葉の使い手です。日常の何気ない風景さえも、この人の手にかかるとパッと輝き始めます。 こんな風に世界を描けたら、日々の華やぎも相当なものになるだろうになぁ… |
大江健三郎『われらの時代』 |
|
*大江健三郎「われらの時代」(新)
痛快、痛快。時代の巡りの中に、独り佇む幼きもの。きたない世だ。観念・信念・情念。性・暴力・友情・そしてよく分からぬ連帯。いい、苦しむべきだ。苦しまず大人になることほど苦しいことはない。苦しむがいい。 *************************************************************** お久しぶりです。みたいなことを、毎回書いてる気がするな、読書案内を書くときには。もっとペースを上げようともしてるんですが。ま、気長に書きますよ。 今回は、オーエ大先生ですw この『われらの時代』という作品。一言で言えば…強い。そして痛快です。 物凄くグロテスクな部分もあり、逆にキレイなところもあります。内容しかり、メッセージしかり。強烈なメッセージ性を有しています。なにも考えないで読む人には気持ちの悪いポルノ小説と勘違いされるかもしれませんし、この作品が大嫌いな人もいると思いますが…。僕は、この作品が大江作品の魅力を知る重要な作品だと位置づけます。十代後半から、少なくとも二十代前半には読んでおくべき一冊です。 戦後の日本の位置。戦後の日本人たちの精神。読んでいて吐き気がします。しかし、読むのが嫌になる吐き気ではありません。嘔吐感に苛まれながらも読まざるをえない力をもった作品です。それだけの筆力が彼にはある。ノーベル賞を取るくらいの人ですからね。当然ですが。 レビューにも書いた通り、キーワードとして浮かぶのが、観念・信念・情念。性・暴力・友情・そしてよく分からぬ連帯。強い作品です。 |
シマヘビsanのHPへのリンク |
|
シマヘビsanの春眠日記 ここは毎日更新している日記サイトです |
プロフィール |
|
Author:shimahebi
|
最近のコメント |
|
|
最近のトラックバック |
|
|
月別アーカイブ |
|
|
カテゴリー |
|
|
ブログ内検索 |
|
|